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東京地方裁判所 昭和42年(ワ)10877号 判決

理由

一  請求原因一(但し特約店依頼の時期は原告本人尋問の結果によれば、昭和四〇年五月頃であると認められる。)、二及び四の事実は当事者間に争いがない。

二  前記請求原因四記載の合意により、原告として同記載の(ホ)ないし(ル)の手形及び小切手を振出し買掛金債務について期限の猶予を得た以上、その支払のために右合意以前に振出した(ハ)(ニ)の手形について資金準備をする必要がなくなつたわけであるから、万一右手形が原告に返還されることなく呈示されれば、銀行との取引停止処分を受けることになるので、被告としてはかかる事態を防止すべく、これを呈示に至らしめないような措置を講ずべき義務を負担したものと解するのが相当である。しかるに、右手形が満期に呈示されて支払拒絶となり、原告が昭和四二年一月六日取引停止処分を受けたことは当事者間に争いがない。そこで、かかる事態を招いたことにつき、被告の責に帰すべき事由が存するかどうかを検討する。

《証拠》によれば、前記合意以前に(ハ)(ニ)の手形はいずれも原告から大塚正士、同人から阿波銀行に順次裏書譲渡され、同銀行から山梨中央銀行に取立委託裏書がなされ、前記合意当時山梨中央銀行がこれを所持していたが(この事実は当事者間に争いがない)、被告は前記合意成立の頃自己の被裏書人である大塚正士を通じ阿波銀行に対し呈示を取止めるよう依頼したに過ぎないことが認められる。被告は阿波銀行に対する右呈示取止め依頼により債務者として十分注意義務を尽したものというべきであり、それにもかかわらず右手形が呈示されるに至つたのは阿波銀行と取立委託先の山梨中央銀行との間の連絡不十分によるものであるから、右手形が呈示されるに至つたことにつき被告の責に帰すべき事由は存しない旨主張する。しかし、本件のようにいやしくも現在自己が所持していない手形について呈示させないことを約した手形受取人である被告としては、自己の直接の被裏書人と連絡をとるだけではなく、右のような最終所持人とその取立委託先との連絡上の手違いのあることを考慮に入れ、満期到来前に手形を回収しておくか、或は現実に呈示業務を担当する山梨中央銀行又は支払担当者である甲府信用金庫に対し呈示又はこれに伴つて予想される取引停止処分を防ぐべく直接連絡をなすべき義務があるものと解すべきである。従つて、被告がかかる措置をとらなかつた以上、たとい被告主張のように阿波銀行と山梨中央銀行との間の連絡が不十分であつたとしても、(ハ)(ニ)手形が呈示されるに至つたことは被告の債務不履行によるものといわざるを得ない。

被告は、原告も支払担当者である甲府信用金庫に事前に連絡する等して被告に協力すべき義務があると主張するが、債権者としての一般的協力義務はともかく、被告主張のような措置をとることまでを原告に義務づけたものと認むべき特段の資料も存しない以上、右主張を採用することはできない。被告は手形の満期が年末の繁忙時に到来することをもつて原告の協力義務の根拠として主張しているもののごとくであるが、むしろそのような時期にあるからこそ被告において誤りなきを期するよう対処すべき義務があるのであり、被告の右主張は被告の義務を加重する根拠になり得ても、原告の協力義務を裏付ける理由とはなしがたい。

なお、原告は被告が原告を倒産させる意図の下に前記手形を呈示するに至らしめた旨主張するが、被告のかかる意図を認むべき証拠はない。

三  以上述べたところによれば、前記合意に基づく被告の債務不履行により(ニ)の手形が呈示され、原告が昭和四二年一月六日取引停止処分を受けるに至つたのであるから、被告はこれによつて、蒙つた原告の損害を賠償する義務がある。

被告は前記手形の呈示と原告に対する取引停止処分との因果関係を争い、《証拠》によると、被告主張のように、被告は昭和四二年一月一六日(ハ)(ニ)の手形について不渡撤回申請をなしたので、本来ならば原告は前記取引停止処分を免れ得たはずであつたが、同月一〇日に原告振出の大同薬品株式会社宛の金四五万円の約束手形が呈示され、右手形についてはなんら資金準備もなく、また、不渡撤回申請もされていなかつたので、結局原告は取引停止処分を受けざるを得なかつたことが認められる。しかし、原告は右金四五万円の手形の満期到来以前の一月六日に取引停止処分を受け、右満期当時(一月一〇日)はこれが撤回もなされていなかつたので信用を失墜し、金融の途を失つた旨主張し、原告本人も「右金四五万円の資金上目途はついたが、前記銀行取引停止処分のため、銀行への振込みができなかつた」旨供述する。しかして、原告としては営業不振の立直りを期すべく被告に対する債務についてはすべて期限の猶予を受けたものと認められるから、前記合意直後に満期が到来する右金四五万円の手形について金融の目算があつたものと推認することは可能であるし、また、一旦取引停止処分が公けにされた以上、この者が他から融資を受けることが極めて困難であることは容易に推測し得るところであるから、原告の主張及び原告本人の右供述をあながち根拠のないものと排斥することもできない。従つて、右金四五万円の手形の支払拒絶があつたからといつて被告の損害賠償義務に消長をもたらすものではない。

四  そこで、原告の損害について検討する。

まず、財産的損害については、原告本人はその主張にそう供述をしている。しかし、《証拠》によれば、原告は警察官出身者でドリンク剤販売の経験に乏しく甲府市内に店舗を借りて営業を続けていたが、賃料が滞り勝ちとなり昭和四一年三月に至り同店舗を閉鎖したことが認められ、また、原告が純益として金二七二万七、二四五円を得たと主張する昭和四一年の年末において前記のように履行期の到来している販売代金二〇七万九、〇七五円について支払うことができず、被告にその期限の猶予を乞い、これに対し、《証拠》によれば、被告も当時原告の営業が開店休業の状態で、未払の販売代金をそのまま請求すれば原告が倒産するおそれがあると判断し、右販売代金の期限を猶予することとしたことが認められるのであるから、原告がオロナミンC販売により前記取引停止処分を受けた当時その主張のような利益を得ていたとは到底認めることができない。他に、このようにいわゆる赤字経営をしていたと推認される原告が前記取引停止処分によりいかなる財産的損害を蒙つたかについてはこれを認めるに足る証拠はない。原告は前記銀行取引停止処分後上京して就職先をさがしたがどこも雇入れてくれなかつた旨供述するが、就職の困難は年令、特技、家族関係、経歴等に由来することが多く、原告の場合これが前記取引停止処分に起因するものと認むべき証拠はない。

次に、慰謝料について考えると、一般に事業経営にあたる者が手形決済をすることができず銀行との取引停止処分を受けるということは、業界における信用の失墜を意味するもので、ひとたびこのような状態に陥れば、経営者としての再起は容易ではない。殊に、本件では、その成否は別としても、原告としては前記合意により被告に対する債務の期限の猶予を受け、不振から立直りを期していたものと推認されるだけに、その直後、被告の不注意により前記取引停止処分を受けたことにより蒙つた精神的苦痛は少くなかつたものと推察することができる。しかして、右精神的苦痛に対する慰謝料は本件における諸事情を勘案すれば、金五〇万円が相当であると認められる。

五  なお、被告は相殺の主張をするが、自働債権の存在につきこれを認むべき証拠はない。

六  以上によれば、原告の本訴請求中被告に対し債務不履行に基づく損害賠償金五〇万円及びこれに対する昭和四二年一〇月二〇日以降完済に至るまで年五分の割合による民法所定の遅延損害金の支払を求める限度で正当であるからこれを認容

(裁判官 松野嘉貞)

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